2009年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年01月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

入院

手術日は4日なのにこんなに早く入院させられた。
さらに検査とかあるのかな?と考えながらも、
看護師から生活習慣などの質問を受けるだけ。
特に検査、治療はなく入院1日目が過ぎていく。

消灯は21時。
毎日0時過ぎに寝ていた私は枕も布団も変わったところでは眠れるわけがない。
暗い病室。一人になると考えさせられた。


もう子供は産めないんだ。


そう考えると涙が溢れた。



スポンサーサイト

| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

手術

12月2日
朝から錠剤の下剤を飲み始める。
他にはやることはなし。
院内を偵察。見るところもない。


12月3日
この日は絶食。手術への緊張か食欲もない。
液体の下剤を飲まされる。ほんのりグレープフルーツ味?
そんなことはどーでもよく、とにかく飲みづらかった。
手術日前日のため午後、家族への手術説明があった。


広汎子宮全摘出術


子宮のほか、リンパ節など子宮を中心とし、のりしろ2cmの感覚で摘出。
CT検査の結果、転移はしていないが、左卵巣に炎症があり、
通常の倍以上の大きさになっているので、こちらも摘出予定。
手術時間は通常4時間。
開腹してみて他の臓器に転移、癒着等あれば最大12時間との報告。
家族は唖然としていたけど、私は実感がなく笑っていたかも。



手術日当日の12月4日。
朝6時に浣腸をされ、手術待機。
8時前には家族が集まり、8時30分。歩いて手術室へ。
このときはなんの感情もなかったかも。

手術室についても、ここはTVドラマ現場?みたいな感覚で。
手術台にも自ら上がり、硬膜外麻酔をされる。
あとは点滴麻酔も入り、1分くらいで眠りにつきました。




なんとなく目覚めたのは夕方の16時頃。
家族が見守る中、目覚めたけど意識は朦朧。
酸素マスクをされ、血栓を防ぐために足に機械もつけられ、
体からは管が何本もでていた。

目覚めてはまどろみ、まどろんでは目覚め…。
生きて目覚められた…。
そんな変な安心が心の中であったが、
術後の発熱で寒気が止まらない夜を過ごした。





| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

歩行訓練

手術日翌日。
酸素マスクはとれたけど、体からは何本も管がでている。
そんな状態でいきなりの歩行訓練。
看護師さん付き添いのもと、まずはベットに起き上がってみる。大丈夫。
そしてベットから足を下ろし、力を入れようとした途端、全てが真っ白になった。
どーやら気を失ったみたいだ。

そのあとの記憶はうっすらとしか覚えてないけど、
病室には家族がいて、看護師さんとで私はベットに戻されたらしい。

1時間くらいしてしっかり目覚めた。
手術では通常、1000ccの出血があれば多い方らしいけど、
私の場合は1300ccの出血があり、輸血をするかどうかの瀬戸際だった。
なので手術翌日の今日は貧血数値MAX。
それは気を失います。

そして午後。もう一度、歩行訓練。
歩けるようにならないと、足の血栓を防ぐポンプがはずせないらしいので、
なんとか歩行練習を。
病室内を2,3歩あるき、クラクラするのでここで終了。

もう少し歩けるようにならないと…。
この血栓を防ぐポンプ。一定間隔で動くのでこれが気になり眠れなかった。
なので眠剤を使用。それでも真夜中、何度も目が覚めた。

術後2日目。気を失うハプニングがあったにしても、
ベットの背を立てて数時間、座っていることはできた。



| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

食事開始

12月6日
歩行訓練をまた試してみる。
今度は倒れることなく病棟を半周できた。
これで血栓防止のポンプははずしてもらえることに。
そして背中に入っていた痛み止めの薬が入っている管もとれた。

術後、腸が正常に動いているかどうかの目安として、ガスがでたかどうか。
でたかな~。眠っている間にでた?
そんな微妙だったので、下剤を飲み始めることに。



12月7日
ガスがでた気がする!ということで、お昼から食事開始。
食事といっても全部汁もの。
重湯、しいたけ汁?、かぼちゃスープ、バナナジュース、プリン。
とにかく5日間、何も食べていなかったから
味のついたものがおいしく感じられました。

食事は3食同じようなものを食べるとレベルアップしていくことになってます。
重湯→三分粥→五分粥→七分粥→全粥→白飯の順。
これでいくと、5日後には普通食です。


それと体についている管。
腕にある点滴はまだまだついているとして、
この日は抗生剤朝晩2本、養分3本、血剤1本を打っております。

そしておしっこの管。
これは術後1週間を目安にとれるそう。

それとお腹に直に刺さっているドレーン2本。
これは体内のリンパ液を排出させるために刺さっている。
これの左を本日1本取りました。

1日の排出量が200cc以下になると取ってもらえるんだけど、
12月5日 右 800cc 左 250cc
12月6日 右 600cc 左 100cc
12月7日 右 250cc 左 管抜けました。

こんな経過です。
ドレーン1本抜けただけで、ずいぶんと体が楽になった気がする。



| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

排尿障害

術後7日目の12月11日。
この日は術後一週間ということで内診があった。
傷痕はおへそ左から恥骨へかけて20cm近くの痕。
先生がガーゼをとり、消毒をしてくれている間、その傷痕を見せてもらった。
自分の体のことだから、しっかりと見ておきたかった。

黒い糸?みたいなものが生々しく傷口を繋いでいた。
正直、自分の体の一部だとは思えなかった。

ガーゼ交換後、透明なテープみたなもので傷を押さえるだけ。
このテープが傷痕を目立たなくするそうなので、
自然とはがれるまではこのままでいるそう。

でもこの傷。咳やくしゃみなどしたときに痛いんだよね~。
看護師さん曰く、お腹を切ってるから腹筋も切れてるんだよ。
つらいときはクッションをお腹にぎゅっと当ててすると少しは楽だよ。
とのアドバイス。なるほどね。



そしておしっこの管も本日とれました。
ここで呆然としたことが。
術前、いろんな説明があったけど、まさか自分が…。
て思いで聞き流していたのかもしれない。


排尿ができない。


普通、便座に座ると何もしなくてもおしっこってでるものだと思ってた。
それがどんなに座っていても全くでてこない。
なので看護師さんに管で取ってもらうことに。
とにかく尿意がないので、3時間おきに。
夕方以降の水分摂取をなるべく減らすように。との指導が。

いわゆる排尿障害。
広汎子宮全摘出術の手術を受けると、膀胱の神経に触ることがあるらしく、
排尿機能が低下することがあるらしいです。
「全くでない人」はごくわずかな確率で、術後の入院中に次第にでてくるそう。
気長に待ちますか!



点滴は12月8日に終了。
貧血はまだあるけど、飲み薬で対応。
点滴がとれたのと同時に個室から二人部屋へ移動。



リンパ液の排出量経過
12月 8日 右200cc
12月 9日 右290cc
12月10日 右400cc
12月11日 右550cc

微妙に増えだしたのが気になる。
このドレーンを刺しておくのは、以前にも言ったけど200cc以下になったら抜くことができる。
でも最長10日間くらいが限界らしい。
それ以上していると、感染する恐れがあるんですって。
なんとか排出量、減ってくれないかな。
てゆーか、なんで増えだした?






| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

膀胱の居眠り

術後13日目の12月17日。
術後はずっと下剤を飲んでいる。その調節がなかなかむずかしい。
一日に何度もトイレに駆け込むことになったり、
3日間まったく大便に音沙汰がなかったり。

手術前の私は朝の快便派。調子いいと朝晩でたりしていた。
なのにこの荒れ模様。
人間の体にメスを入れることは、こんなにもいろんな障害がでるということなのね。



おしっこの方はまだでません。
なので泌尿器科にかかりました。
膀胱の圧を計ったり、腎臓のエコーをとったりと。
とりあえず異常はないけど、医師曰く


「あなたの膀胱は眠っています」


と。
はぁぁぁ?どーやったら眠りから覚めるの?!
と聞き返したけど、とにかく自然回復を待つしかないみたいです。




リンパ液の排出量経過
12月12日 右 900cc
12月13日 右 300cc
12月14日 思い切ってドレーンを抜く!

ここからが惨劇の始まりだった。
ドレーンを抜いたところはガーゼを当て、自然に傷口がふさがるのを待つ。
もちろん穴があいている状態なので、ガーゼにリンパ液がつく。

そのつき具合が異常だった。
もぉ大洪水。
まるでおもらししたかのように、べっちゃべちゃに垂れ流しになった。
看護師さんはあわてて押さえてくれて結局、簡易ドレーンをつけることに。

その後のリンパ液の排出量経過
12月15日 右 600cc
12月16日 右 800cc
12月17日 右 200cc

そして17日の夜、簡易ドレーンも取ることに。
そのあとはガーゼ対応で、もしこの先も流れ出るようなことがあれば、
ドレーンが入っていたところを縫います。と言われました。
もう痛い思いはしたくなかったので、ガーゼで必死に押さえていた私。
なんとかガーゼ対応で終息に向かいました。

リンパ液が流れ出ないで傷口がふさがり、体内に溜まっても、
人間の体は圧がかかり、それ以上溜まりません。という限界があるらしい。
それはそれでいいけど、溜まるってどれくらい?
そんな疑問もあった。



| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

追加治療

当初、手術の病理解剖結果が術後2週間程度ででると言われていたのに、
まったく報告がなかった。
あと3日で術後3週間だから、そろそろ退院なのにずいぶん呑気だなぁ~
なーんて。そんな風にも思っていた。

そんな術後18日目の12月22日。
執刀医の先生より、病理の結果が出たのでご家族を呼んでください。と言われた。

「え?なんで???なんで家族を呼ぶの?」

すぐに出た言葉だった。
術後に聞いた話では悪いところは100%とりきれた。
他の臓器への転移、癒着はなかった。とだけ聞いていた。
もちろん、この手術で終わりだと思っていた。

そんな中、家族を呼んでくださいって…。
私は「一人で聞くのはダメなんですか?」と言っていた。
だって自分の体のことだし、いち早く結果を知りたいという思いもあったから。

よってこの日。一人で病理の結果を聞きました。
医師の開口一番は「良くない結果が3点あります」と。


◇◆◇ 病理の結果 ◇◆◇

・腫瘍の大きさが4.2cmだったこと
・癌細胞が基靭帯にまで侵食していたこと
・取除いた断片のリンパ管、血液管に癌細胞があったこと


以上の3点でした。

まず一つ目。
通常、腫瘍の大きさが4cm以上だと即手術ではなく、
放射線治療、または化学療法で癌細胞を小さくしてから。
というのが一般的だったということ。

そして二つ目。
事前検査ではそこまで発見できなかったこと。

そして三つ目。
二つの管の癌細胞が、これから他の臓器に飛ぼうとしていたのか、
または飛んだ後なのかが不明なこと。

これを総合して病理解剖の結果として、「Ⅱb期」という診断がだされました。

この結果を聞いても、ピンとこない私。
現実とは思えない、自分のこととは思えないほど他人事のように聞いていた。


続いて出た話は今後の治療。
追加治療で化学療法9回を勧められました。これは再発予防のため。

「それって絶対???」という問いに医師は
「やらなければ5年後の生存率50%」という返答。

このときはさすがに頭の中が真っ白になって…。
それを察した医師は、後日必ず家族を呼んでください。と。



このとき二人部屋に一人っきりだった。
感情が溢れ出し、ただただ一人で泣いた。
とても私の口から家族に説明することはできない。
なので病理結果がでたから病院にきて。とだけ連絡した。




| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

家族の思い

12月23日
おしっこの方。まだ自尿がありません。
いつまでも看護師さんにやってもらうわけにはいかないので、
指導の下、自己導尿をはじめました。
これがなかなかうまくいかない。手を清潔にし、尿道を探す。
こんなこと。こんな病気にならなければ一生見ることはなかったんじゃない?
と笑いたくなることも。

化学療法を受けるかどうかの決断をまだ下していなかったけど、
とりあえず下準備。
朝6時から翌日の6時までの尿を機械に溜めておく。
尿の要素と体面積で抗癌剤の使用量が決まるらしい。



12月24日
世間はクリスマスイヴ。
そんな中、家族に病院にきてもらい、先日の病理解剖の結果を一緒に聞く。
何度聞いても重くのしかかる結果だった。
父は無言。そして母と姉は息を呑みながらも、
追加治療をすぐにでも受けなさい。と言っていた。

正直、追加治療を受けることに決断を下せなかった自分。
こうゆうことは一人ではなく、やはり家族と一緒に聞く。
ということが大事なんだと実感。
人間病気に限らず、窮地に追い込まれると正常な判断ができないんだ。

母の強い勧めもあり、そう。このままでは私に未来はない。
追加治療を受けるべきなんだ。と心を決め話が進んでいった。
12月28日に化学療法を。と決定。

こーやって決まっていくとカツラも用意しなくちゃ…。
と冷静な自分もいた。いろいろと調べる。



心と頭の中に長い長い迷路ができたかも。



| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

決意のカット

12月25日
私が他の患者さんとあまり関わりあいたくない。
という気持ちを察してだったのかな?
通常、術後5日目くらいで大部屋に移されるみたいだったけど、
ずっと二人部屋だった私。

朝、看護師さんに化学療法への不安を伝えたせいなのか、
年末も近づき、部屋の分散化をまとめたかったからなのか、この日大部屋に移動。
といっても6人部屋なのに4人しかいなかった。



12月26日
週末ということもあり、治療も診察も何もないので術後、初めての外出。
自宅に一度戻り、自己導尿をスムーズにできるように環境を整える。

髪の毛が抜ける。という事実にも立ち向かわなければならない。
安易にカツラは選べなかった。なので帽子を探す。
いつもは入らない洋服屋で冬用のニット系の帽子を見つけた。
黒と茶を購入。とりあえず帽子を用意したことで心が落ち着いた。

姉の家に行き、手料理を食べさせてもらう。両親もきた。
病院食にも飽きてきたこの頃。すごくおいしかった。
4時間程度外出していたが、車での移動するその振動が傷口を振るわせた。



12月27日

化学療法前日。腰まであった私の髪。
化学療法をすると、確実に抜け落ちると聞いていたので、
この長い髪のまま抜けはじめたら惨劇だ!と思い美容室へ。
病院から徒歩10分くらいのところ。

初めて行った美容室なのに、超ロングだったスタイルから
「ショートでお願いします!」
と意気込む私。美容師さん、ちょっぴりビビってました。

迷いはなかった。ロングヘアから抜け落ちることを想像すると。
それに4年くらいロングヘアだったけど、その前の3年間くらいはずっとショートだったし。

カットを終え、病院に戻ると同じ病室の方からは
「カツラ作ってきたの?」と言われた。地毛ですけどーーー!
看護師さんも驚いていた。

長い髪を切る。これだけで今後、治療と戦っていく!
という決意の表れだったのかもしれない。




| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

化学療法開始

化学療法。それは未知の世界だった。
心の準備もできていない状態でこの日を迎え、さらに不安と緊張を抱え、
副作用のことを考えると胃が痛い。そんな時間だけが過ぎていった。

そして化学療法当日。10時開始
まずはアレルギーと吐き気止めの点滴30分。と同時に飲み薬も。

続いて本番の抗癌剤。
1本目はパクリタキセル。これがほぼ間違いなく脱毛率№1。
これを3時間で落としていきます。
そして2本目。カルボプラチン。これは1時間30分で落としていく。
抗癌剤は以上の2本。

そして最後は通称「ながし」を10分。
本当の名称はわからないけど、点滴針の刺さった血管付近に
抗癌剤が溜まらないように流す。からきているのかな?
たぶん生理食塩水で流しているんだと思います。

以上の行程を15時30分に終えました。
夕方、姉がきた。顔色の悪いことを指摘される。
でも具合の悪さはない。



とうとう私の体に抗癌剤が入ってしまった。
どんな副作用を迎えるのか。そんな想像だけが膨らむ。

周りと接するときは常に明るく笑っていた私。
それとはうらはらに、心のどこかにある不安を誰かに悟られたくなかったのかも。


| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

年越し

化学療法を行って3日経過。特に目立った副作用はない。
強いて言うなら食欲が落ちたかな。
ホントかウソかわからないけど、お酒が強いと吐き気などが少ないかも。と聞く。
薬(抗癌剤)をアルコールで溶いて点滴しているため。
ビール350ml飲んだ感じだって。それくらいへっちゃらに呑める。

夕方、姉が料理を作って持ってきてくれた。
筑前煮やから揚げ、etc…。
食欲がなかったわりには食べられた。
あれ?食欲がなかったんじゃなく、病院食に飽きていただけかも。
そー考えると、副作用らしい副作用はないかも。

お腹の張りが気になる。便秘のせいかと思っていたけど、
レントゲン、エコーの結果、リンパ液が溜まっているとのこと。
溜まりすぎると発熱などがあり、抜くことになる。と。
今のところ様子見。


年末年始。外泊してもいいよ。と病院側のお言葉が。
でもまだ自己導尿がうまくいかなかった。こればっかりはどーしよーもない。
それに実家に戻るには遠いし、
自分のアパートに一人でいる私にも両親は不安を持った。
なので年越しも病院で過ごすことを決めた。

病棟は寂しいものだった。
私がいる婦人科の病棟は50床あり、常に満員状態で賑わっていた。
そんな賑わいもなく病棟は6人での年越し。同室では2人っきり。
こんな静かな年越しは二度とないだろうな…。





| 病気 | 23:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。