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家族のありがたみ

術後の入院中を振り返ってみる。

術後は10日間。びっちり母が看病にあたってくれた。
姉の家に寝泊まりし、地下鉄で毎日通ってくれて。
私の母は究極の方向音痴。
ちゃんとたどり着けるか心配だったけど、姉にしっかり道順を教えてもらい、
迷いながらも来てくれた。きっと、娘の私を思っての必死の行動だったんだと思う。

母は体が動かない私の体を拭いてくれたり、髪の毛を洗ってくれたり。
飲み物を飲もうにも起きあがれないからコップを取ってくれたりと。
体が動かないけど、暇な私の話し相手となってくれ、
居てくれて本当によかったと思う。

母は私が小学2年生のときから働いていた。
その職場は私の入院日前日で退職した。
これは私の入院に合わせて退職したのではなく、本当の偶然。
以前から決まっていた。
なんの因果か、そんな巡り合わせもあるものなんだ。と思った。


母が実家へ帰り、今度私の世話をしてくれるのは近くにいる姉となった。
姉は普通に会社員なので仕事も毎日。
それでも週に2,3度きてくれ、洗濯をしてくれたり、必要なものを揃えてくれた。

この頃から私も体が自由に動くようになり、体から管も次第に抜け始め、
元気を取り戻した。
そして病院食にも飽き始めた頃、姉がよく料理を作って持ってきてくれた。

もし、私と姉が逆の立場だったら…。と想像したときがあった。
私は仕事、勉強に明け暮れ、こんなにマメに世話はできなかった。
と自負する。なので姉にもすごく感謝した。



術後3週間。
当初、その期間で退院予定と聞かされていた私。
それなのに結果的に追加治療。

その追加治療を受ける決心が私にはつかなかった。
受けないと先が限られる。とわかっていても決心がつかなかった。

そんなとき、強い味方は家族だった。
先陣を切って医師と話したのは母。
母の強い勧めと、姉の励ましの言葉。
このときはただただうなずくことしかできなかった私。

こーして化学療法に入ったのです。
私の人生、今まで自分は自分!これをやりたい!これはイヤ!
っと、全部自分で決めてきた。
両親からもアンタは頑固だから決めたら絶対だもんね!
そう言いながらも応援してくれた両親。

しかしこのときばかりは自分で決められなかった自分。
家族の勧めと支えがあっての今だと。現在は思っております。



現在は2回の化学療法を終え、日常生活にも慣れてきました。
当初言われていた薬の副作用も私には全くないに等しく、ほっとしている。

それでも家族は私を心配し、料理をつくってくれたり、顔を見にくる。
そんな家族が私にはいて幸せなんだ。と実感せずにはいられない。


「家族は絶対の応援団」


ある人からそー言われました。すごくわかる気がする。
現在は家族のサポートを受けながら過ごす毎日です。
ガンバレ!私!



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